飽きないように

研究意欲や創造性、というのは、季節の移り変わりのごとく
周期的にやってくるもののようだ。、、いや、自分の場合だけかも知れんが、。。

何かを達成した後は、しばらくそれをやる気が沸いて来ない。。
やりたいとかやらねばとかはずっと思っていて、その情熱にも変わりはないのだけれども、気ばかり早って、どうにも手が動かない。。あれ?どうしたんだよ、、おい!と、自分でもそんな感じになってしまう。最近で言うと粒子法やマーチングキューブの研究なんかがそうだ。一通りやって、ある程度で満足してしまうとやらなくなる。ひとことで言えば、いちいち「飽きて」いるのだと思う。

考えてみれば、こういうことは自分の人生の中で随分と繰り返されてきたように思う。18歳の時に、当時のPC9801の貧弱なグラフィックス機能でもって、3次元グラフィックスの基本となる透視投影に気付いて一人感動したはいいが、それからOpenGLが身近なものとなるまで、4年近くも3Dの世界は放り投げていた。OpenGLがなければ自分はいつまでも3Dの世界を、遊び飽きた玩具のように、もっと面白い遊び方があるのにも気付かないまま、放置したままにしていたに違いない。BREP表記やポリゴンメッシュ形状表現の方法だって、それを知ってからどんどんいろいろやればいいと思うのに、振り返ってみれば少なくとも2年くらいはほったらかしにしていた。今にして思えば。。

電解液の電池で言えば、水素が電極に付着して、電圧や電流が落ちてくるのにも似ているし、掃除機で言えば、フィルターがだんだん詰まってきて吸引力が衰えるのにも似ている。そう考えてみるとこれはその辺の物理現象と同じ、ごく自然の現象が脳の中でおきているのだと思う。あるいは私の脳は、ある有用な概念が頭の中に入ってきてからある程度それを「寝かす」期間が必要なのだろうか?

それにしても自分はなんでもすぐに飽きてしまう、そこが意外と実は最大の弱点なんじゃないかとふと思ってみたり。電解液の電極のように、すぐに飽和状態になってしまうのである。脳の中のエンタルピーの差がなくなって、熱的に安定してしまう状態が長すぎるような気がする。これ以上は簡単に進展はしなさそうだな、と自分で勝手にあきらめてしまっているのかも知れない。

こうなってくると、研究者やエンジニアの創造力や研究力の「底力」というようなものは、研究対象について考えたり行動したりする能力もさることながら、いや、そういう能力よりもむしろ、取り組んでいる問題やテーマに対して、いかに自分を「飽きさせない」かということが、実は一番重要なのではないだろうか。

さて、以上は主には仕事とは関係ない、放課後自宅研究活動に限っての話である。仕事にも勿論浮き沈みはあるが、基本的に仕事ではアイデアが日々次々と浮かんではそれを実現し、日進月歩の順調な進展を、概ね続けることができている。。となると、周囲の拘束力や需要に応えるためというのも、自分を飽きさせないための条件になるのかも知れない。でもどうだろうか。。うーん、やはり需要は必要そうだぞ。モチベーションにもなるしな。。

問題をクリアしてしまった後に、次に取り組むべき問題や好奇心、それに向かう情熱、のようなものが出てくるまでに時間がかかるのである。それもたいそうな時間が。簡単なことですぐに満足してしまうという、安物買いな傾向もあるのかも知れない。

人生の時間は有限である。。。とはいえ、そうやって焦るのもちょっと違う気がする。
そういうときは、むしろ広く浅く、いろんなことに目をむけ手を伸ばすことを考えた方がよさそうだ。やる気のおきないことを無理にこだわってやろうとしないことが大切なのかも知れない。またやりたくなったら、やればいいのである。自然体でいいのかも知れない。普通にしていれば、本当に好きなことにはきっと何回でも戻ってくるのだろう。たぶん。。ていうか好きじゃなきゃ戻ってこないだろうしな。。

でも、本当に自分がすきで、ずっと取り組んでいたいことは、そればっかみたいな感じで連日のめり込んでやるのではなく、日によっては完全にそれを忘れ、そこから離れ、また戻ってきては思い出し直す、考え直す、くらいのペースで積み重ねていった方が長続きするし、結果としていい仕事もできるという確信のようなものは、最近持ち始めています。。、、歳のせいもあるのかも知れんが。

…っていうとこにあてはめて考えてみると、結局自分は仕事でやっていることが一番好きなのかも知れず、それはそれで、それをどこまでも極めていけばいいわけで、実は何の問題もないのかも知れないという噂もある。、、あれ、こんな結論になるはずじゃなかったような気がするがまあいいか。