「時砂の王」を読んだ


先日読んだ小川一水の「老ヴォールの惑星」がなかなかよかったので、「時砂の王」も読んでみた。これはタイムトラベルというものについて思いを馳せることになる作品だ。もともと個人的にはタイムトラベルというものの実現可能性には疑問があって、それを題材にした作品からリアリティを得ることは出来そうにないと思っていたのだが、読んでいくうちに、それでもタイムトラベルはあるのだろうか?もしかしたら…みたいな気持ちにさせられた。
むしろ読み進むうちにそんなことはどうでもよくなったというか、実際にこういうことなのかも知れない、こういう感じで木の枝のように分岐した世界がたくさんあるのかも知れない、いやそうに違いない、ならば話はどう展開していくのだ、という具合にページを捲る手が止まらなくなる。邪馬台国卑弥呼といった、日本古代史の謎への一つの空想仮説的な説明にも挑んだ内容となっている。このクライマックスのところがなかなか逞しく感動的でグッときてしまい、同じ国に生まれた子孫としてか、妙に人ごととは思えず、思わず涙してしまった。
これまで日本史で馴染みの女王卑弥呼と聞くととてもじゃないが得体の知れない婆さんのようなイメージしかなかったものを、空想とは言え、私の中でかなり聡明で身近な感じのする女性というイメージに塗り替えられたことは確かだ。本の表紙のイラストにある後ろ姿のイメージそのものである。また、愛する個人を救うことと、人類全体を救うことを量りにかけて物語の中で何度も問うていることも印象的だった。
また、宇宙人の来襲に備えて地表を守るための、高機動型の戦闘ドロイドの類はいつの時代も準備しておかなくてはならないなと痛感した。この時代にあるからこそ我々はそのようなドロイドを作るための研究開発費や量産体制(自動車工場の非常時対応としてなど)についてもっと真剣に議論してもいいのではないだろうか。縄文時代よりははるかに恵まれている時間枝に我々はいると思うのだが。宇宙人が攻めてきても大丈夫なようにしておけば実際に宇宙人が攻めてくる歴史の時間枝が降りてきて、未来側の方から自ずと繋がってくるのではないだろうか。
高いセンスで小気味よくそしてテンポよく語られる未来技術を随所に散りばめつつ、人類の運命を守るためにはるか古代から現代そして遠い未来という異世界を行き交う知性の戦い、生き様を描いた壮大なスペクタクルである。やはりこの作家からは当分目が離せそうにない。

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)